今だから思うミスiDのこと
ときどきSNSでミスiDのことを目にしては、ちくりと古傷が疼くような気持ちになる。内側の人間として語れるほど入り込めなかった、という後ろめたさもありつつ、ようやく距離を置いて眺められそうなので少し書いてみる。
2017年、ミスiD2018に応募して、セミファイナリストとして終了した。まだコロナ前で対面の選考もあった年で、5月書類選考、6月対面の1次選考、7月セミファイナリスト発表、9月ファイナリスト発表、11月授賞式くらいのスケジュールだったと思う。セミファイナリスト発表から一般に公開されて、期間中はなにをやってもやらなくてもいいのだけども、好奇の目に晒されながら、ブロマイドの販売枚数や指定のSNSツールの投稿内容・ファンの数などなどを評価されていた。ファイナリスト発表の後にセミファイナルの敗者復活戦があって(オーディションで敗者復活戦って今思えばなんなんだ)、そこまで戦ってわたしの夏は終了した。
当時、ようやくいろんなしがらみから解き放たれて"わたし"のやってみたいことに取り組める状況となり、1日延びた締めきりに滑り込むかたちで応募した。十分にお酒を飲める年齢になってからの応募はアイドル界隈としては遅すぎるものだったけど、その差はわたしの努力で埋めれたものではなかったから当然の成り行きと思われる。むしろ、若くしてそういったものに応募できる環境(特に土地柄)は羨ましい。そこから1次選考の知らせが届き、講談社へ赴き、慣れない撮影をいくつか受け、審査員たちって本当に実在するんだなあと思いながら眺め、そして選考に通った。あの日、応募書類を印刷したものを渡されて、そこに◎って書いてあったから、通るのかもな、となんとなく思っていた。不安点と言えば顔を出さないことだったけれど、結果的に2018の年は不思議といろんなひとが集まった回だったので大丈夫そうだった。(のちに顔を出さない子が出ていたのも少し嬉しかった)
応募したきっかけは、可愛くないと許されない世界への憤りを発したかった、あと自分の活動(文章や写真)のバネになったら嬉しいという感じだった。いわゆるアイドルを目指していたわけでも無かったし、今思えばちょうどいい終わり方だったのかもしれない。ミスiDという枠組みは、「どんな女の子でもあなたにしかないアイドルになれるよ」というニュアンスを滲ませてい(るように感じてい)て、そこを盲目的に信じてしまったので、「わたしのような憤り人間も救われるかもしれない!」と思ったのだった。でも、落ちるという結果になると、「すべて嘘だったじゃないか!」と思ってしまい傷つく。さらに言えば、これまでの生き様になにか事情があればあるほど魅力が引き立つような側面があって、そういった部分を晒すことが望ましいような風潮があったとわたしは認識している。だから、心まで曝け出したのになんで救われなかったんだと、余計に思ってしまう構造な気がしている。きっと外側から見れば魅力が足りずに落ちるだけの当然の帰結なのだけど、内側に入ろうとすればするほど傷ついてしまう原因のひとつだと思う。この辺をちゃんと理解して開示できる子たちが、残っていったのだろうとも思う。
結局のところ、輝いていけるのは商業的に活躍できる女の子たちだと思うので、他のオーディションが目指すものと同じなのだろうと今なら思える。その窓口が事務所に依らず、一般の、まだ見つかっていない女の子を見つけるために広げられているような。そこ履き違えてどうしても苦しくなってしまう人間もいるのだ。でも、その窓口がちゃんと機能することもあると確かに知っている。(乱暴な書きぶりになってしまったが、本当にひとりひとりを大切にしてくれていそうではあったし、そういうマインドがあったと信じてはいたい)
いま、わたしの手元に残っているのはミスiDを通して知り合えた友人たち。出るのが1年違えば、実際に会うことはおろか、知り合うことすら無かっただろう。感謝をするなら、同じ年に応募できたという時のめぐり合わせに。あの時間を共に過ごした連帯感が、時を経ても私たちを繋いでいる気がする。特にミスiDへの帰属意識が無くとも、あれから8年繋がれていることは友情と呼びたい。また、あれをきっかけに見つけて、見守ってくれているひとがいるなら、それもずっと嬉しい。
(写真にうつる機会は増えた、と思う。これは応募する前の年。)
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