解散したから、また推せてる
大好きだったアイドルグループが解散した。初めてライブに行ったときから数えて約11年、いつも心の片隅に住み続けてきた存在だった。武道館や富士山の近くまで遠征したし、リリースイベントのために始発から向かって会いに行ったり、初めてコンカフェに足を踏み入れたり、オタ芸やコールを覚えて、MVを見ては振り付けを目に焼き付けた。ついでに言えばアイドルを知って、アイドルでなくてもインターネットで活動する女の子たちを知って、ミスiDにたどり着いたりした。このグループ無しではわたしの人生は語れないくらい、初めての体験をくれた存在だった。やがてコロナ禍になりわたしの生活も変わっていく中で、現場に出向くことが減り、そうこうしているうちにメンバーが変わり、知らないグループになっていって、YouTuberの公式アカウントを開くのもなんだか億劫になっていて、"解散"のニュースを見たときに少しほっとした気持ちがあったことは否めない。いわゆるわたしの"推し"はグループに残って活動してくれていたけど、推ししか好きじゃない状態でグループとしてのライブに行くことが躊躇われていた。だって、メンバーが変わる前は、どのメンバーも大好きでグループ全体が大好きで応援していたから。推しを見るためだけに行くのは、他のメンバーに対して失礼なような気がしていた。逆に言えば、推しのことはずっと応援していたかった。個人チャンネルに上がる踊ってみたはやっぱり見てしまうし、オンライン上で文通のようなものができるシステムは何度か利用した。生誕ライブにも行きたかった、距離の都合で諦めてしまったけれど。こうやって離れた人間がいるから、解散になってしまったのだとも自覚はしている。
ファイナルライブはオンライン配信で見た。MCがほとんどなく、ほぼ楽曲だけで構成されたセトリは潔さを感じた。メンバーが語って泣く姿を少し期待してはいたのだけど、そんなことは吹っ飛ぶくらい、"らしいな"と思って微笑んだ。いつだってパフォーマンスで楽しませてくれていたものね。
解散した後はしばらく落ち着かなかった。メンバーたちはどうしていくのか、それが分からないわたしたちはどうしていいのか。1ヶ月くらいTwitterにかじりついていた気がする。しばらくしてメンバーの動向が見えてきて、推しは表に出る活動を続けてくれている。3月は彼女のイベントに参加した。持ち前の明るさは変わらないまま、立ち振る舞いのひとつひとつに大人の気遣いを感じた。離れている間にどのくらいの苦労があったのだろう。そしてソロのパフォーマンスはより磨きがかかっていて、その指先、表情まで、目の前のステージはこんなに近いのに、届かない。また大きなステージに立って欲しいと願ってしまったから、やっぱり推しと呼ぶしかないのかもしれない。皮肉なものだけど、ソロになったから躊躇いなく好きでいられるような気がする。全力でたったひとりを応援していても許されてしまう。あなたの踊る姿が見たい。目を合わせて話したい。4月は関西へ遠征してくれるようなので、また姿を見に行こうと思っている。
もっと早く言葉に落とし込める感情だと思っていたのに、解散から3ヶ月が経ってしまった。無くなっても生きていけてる、思い出が背中を押しているから。
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