別れ際、見送れない

別れ際はいつも名残惜しくて、本当は電車が見えなくなるくらいまで手を振りたい。でも、気にしないふりをしてその場から離れている。そうして、しばらくして振り返り、相手が去っていったことを確かめている。ひとに対してどのように好意を示していいのかが分からなくて、難しいのだと思う。"最後まで見送る"という好意の示し方は、自分にしては可愛らしすぎるという自意識があるかもしれない。

時間とお金(と体力)を使えばある程度は解決できると思っていて、"遠くまで会いに行く"みたいな好意の見せ方ならできる。恥ずかしく思わずにいられる。一般的にはこちらの方が怖いのではないだろうか。

自分の感情を話すのが苦手で、良いことも悪いことも話そうとすると泣いてしまっていた(最近はおとなになりましたので過去形とさせていただきたい)。だから、心を割り切って、外側を作って振る舞うようになったと思う。そういう感情を切り分ける癖も影響しているかもしれない。

かっこつけて誤解されるくらいなら、恥ずかしがらずに振る舞えた方が良いに決まっている。次からは、ホームで大きく手を振りたい。


昨日はやる気がもりもりすぎて、電車でいろいろと調べていたらひと駅乗り過ごしてしまった。気付いたときには窓の外に見慣れた壁が通り過ぎていって、びっくりした。ひと駅先で降りると、ちょうど反対方向の電車が向かいのホームに入ってきて、そのまま乗り込んだ。都会は便利すぎる、これなら乗り過ごしてやばいなんて感覚は不要になってしまう。長らく運転していないので車には乗れなさそうだし、この街の生活に足が沈みかけている。抜けられなくなって、泣いたらいい。ちゃんと自覚して、選んでゆけ。


(いつかの駅)

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