嫌われたくない

文フリのことを日々考えている。考えながら、自分を見つめ直している。なんかミスiDのときみたいだな、と思いつつ、文フリってそんなイベントじゃないはずだろうと言い聞かせている。



初めて本を作った。あんまりよく分からないので、気持ち多めの部数にした。他のイベントに出るつもりは今のところ無いので(きっかけがあればやるだろうけれど)、今回きりで売り切りたい気持ちで焦っている。

そうしたら宣伝をしなくてはならず、やってみても宣伝が響かなくて苦しい。そうか、広い海にわたしは不要だったのか、と改めて知る。イベント出店界隈に知り合いなどいないので、知り合いつくることから始めないといけないっぽい。そっか、知り合いがいないと売れないし、宣伝も回らないのか。そのために知り合いをつくらないといけないのか、でも、そうして売るために本を作ったんだっけ?


そもそも、知り合いが少ないのは、あんまり人と関わらないようにしているからだ。人と関わって関係を維持し続けることが怖い。嫌われたくないと思っている。嫌われたくないから、最初に関係値を値踏みして、わたしを許してくれそうな人やわたしが一方的に好きでいられる人とだけ、関係を進めている節がある。典型的な狭く深くのタイプだ。浅く続けることに意味が見出せない、きっと、人生には必要なのに。

誰かが自分を待っている感覚もない。宣伝するときの、誰ともない声掛け。それを受け取ってくれる人がいないだろうとずっと思っている。じゃあ無意味だからやりたくないなと思う。広く関係を保てる人だったら、自分の声が届く感じがするのだろうか。逆に、広い問いかけを自分のものとして受け取れる人なのかもしれない。わたしはわたしのことばかりで恥ずかしいな。恥ずかしくても、広くする術がまだわからないな。



今回、ようやく重い腰をあげて作品集を作った。2014年からやっている140字小説の本だ。当時、文章に添えるために撮り下ろした写真たちも一緒に入れたら、宝ものみたいな1冊になった。

140字小説は今はけっこう書いている人がいるけれど、当時誰もやってない中で書き始めて、これがわたしの人生だと誓って始めたものだった。頭にうかぶワンシーンを書き残して作品にしてみたい、その形式にぴったり合うものだった。いちばんよく書いていたときに本を作ったりすればよかったが、知識がなくイベントに出る気持ちもなく、ずっとやっていなかった。やるなら中途半端な仕上がりでなくて、絶対に最高のものにしなければならなかったから。そんなこんなで10年経って、140字小説はわたしには思い入れの強すぎる唯一の存在になり、やっとまとめあげたこれは、どの本にも負けない1冊になったと思う。ここまで大切に思う本のことを、あまり軽く消費されたくないというのは本音だ。

きっと、わたしを長く見てくれている人は欲しいと思ってくれるかもしれない。そういう人に届けたかったんだった。お互いの時間を重ねて確かめ合える、そんな本になるのがいちばん嬉しい。


ブログ本は、どちらかといえば文フリ用に作った。元々ブログを本にするつもりはなかったけれど、出店するジャンルに合うものを用意したかったし、きっと手に取ってもらいやすいと思ったから。とはいえ、あまりにささいなことばかり書きすぎて、宣伝文句がなにも浮かばない。ささやかな人間の日々、それ以上でも以下でも無い。たぶん、そういうのが好きな人はいるんだと思う。だから、その人たちに届くように、これは宣伝を頑張らないといけない。

好きな人たちのことや作品だったら、愛を持って紹介できるかもしれないな。でも、自分の本って、そもそも自信がなくて、うまく紹介できない。どうやったらいいんだろう。これは文フリ当日まで考えてみたい。



宣伝はするけど、ちゃんと視線の合う人に届けばそれで良い。今まで見てくれてる人たちが微笑んでくれたらそれが良い。たくさんに届けたいわけじゃなくて、ひとりひとりと心を通わせたかったこと、見失わないようにする。



(自己満足動画をつくろうとしている。イメージが湧けば、動画をつくるのも好きだ。)

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