子供の頃は鍋が嫌いだった。あんまり覚えていないが、美味しいものがまったく入っていなくて、食べるものがなかった。ちびまる子ちゃんのパッケージの、鍋の締め用ラーメンが導入されてからは、それだけを楽しみに鍋が終わるのを待っていた。母は毎日手料理を作ってくれてその点本当に尊敬しているのだが、なにか美味しかったかと聞かれれば記憶にない。夏の昼食に食べた素麺とか、なぜか家庭内で流行ったたこ焼きとか、そんなぐらいだ。大人になってから、世の中には美味しいものがたくさんあるのだと知った。風味で味わい、ひとつひとつに違いがあること。同じ食べ物にも味の差があること。そういうものを実家の食事で知る術が無かったし、知ることができるような外食をする機会もなかった。田舎だから店がないとえば、それもその通りだと思う。知人に言わせれば、わたしは食育に失敗されているらしい。わたしもそう思う。

外食の豊かさはすごい。美味しいものを知れば、解像度が上がる。わたしは肉が好きだが、肉が食えればいいのではなく、すげーいいお肉と普通に手の届くお肉があるんだと知った。パスタも麺が違うと美味しさが変わるとか、そもそもパスタ自体好きではなかったが、食べてみると理解できることが増えた。実家にいた頃はほとんど外食をしたことがなく、母の味しか知らなかった。だからなんの不満もなかったのだけど、きっと母はいまだに知らない味がたくさんあるんじゃないかと思う。


大学生になって、鍋パと呼ばれるものを何度かやった。他人と複数人でつつく鍋にわりと戸惑いつつ、躊躇いなく入れられるウインナーにさらに困惑した。カルチャーショックとはこのこと。わたしが実家で食べていた鍋にはそんなもの無かったし、普通のお肉すら雀の涙だった気がする。ウインナーを鍋に入れる家庭はよくあるのですか?大学生の文化なのですか?


最近はよく鍋をする。夏も鍋をする。鍋が好きになったからだ。

単純に大人になって野菜のうまみが身に染みるようになったから。大学時代を通してウインナー、もとい好きな食材を入れていいんだと知ったから。スープも好きなものを買って使ってもいいんだと許せたから。

美味しい食事は、過去の自分を許すことから始まる。好きなものを選んで食べていてもいいんだよ。



(鍋の写真はなかった)

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