いつかインターネットをやめたら
Twitterやめたいな、と思うと同時に、Instagramも発展できないしな、と思う。数年前から巻き起こったアルゴリズムの変化とやらについていけず、ようやく息が整ってもう一度向き合ってみたら、わたしのアカウントはどちらも墓場のようになっていた。表面をはらえば埃が舞う。埃をきれいに拭き取ったとしても、それは墓地の中にある石のひとつにすぎず、景色として認識されるものではないようだ。
わたしが文章を書き始めたのは、Twitterだったら続けられるかもしれないと思って始めた140字小説だった。当時ハッシュタグで「140字小説」を検索し数ツイートしかないことを確かめて、ここにしようと決めて走り始めた。あれから10年、書けないときもあったけれど、わたしが誰よりもずっと大切にしていることは間違いなくて、埃まみれのわたしの石にはこれが刻み込まれているに違いない。
Twitterをやめられないのは、そんな大事な石を投げ捨ててかち割ることができないからだ。粉々になってしまったら、それはわたしの心ごと無くなってしまうことになる。この10年のいちばん大事なものが無くなるのはこわい。
Instagramは、Twitterを始めてしばらくしてから使い始めた。憧れた写真の世界に触れてみたくて、うすぼんやりした心の景色を残し始めた。顔の写らない写真を作ることは楽しい。わたしの表面だけで定義されることなく、見る人の数だけ違うわたしになれるような気がしている。わたしが心としてのわたしであるために、外の姿(≒顔)を取り払うことは必要だったのかもしれない。
写真を撮ることはいまも好きで、Instagramは続けてみたい。
いつかインターネットをやめられたなら、それは正しいことなのだと思う。ただ、やめたら、言葉を書き続けられるのかはわからない。わたしが言葉を捧げたTwitterという場所ほどに、心惹かれる土地はなさそうだ。そうしたらここが墓場でも、それはそれで幸せかしら。
(懐かしすぎる写真。なんだかすこし遺影みたい?
撮影 染谷かおりさん)

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