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3月, 2025の投稿を表示しています

解散したから、また推せてる

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  大好きだったアイドルグループが解散した。初めてライブに行ったときから数えて約11年、いつも心の片隅に住み続けてきた存在だった。武道館や富士山の近くまで遠征したし、リリースイベントのために始発から向かって会いに行ったり、初めてコンカフェに足を踏み入れたり、オタ芸やコールを覚えて、MVを見ては振り付けを目に焼き付けた。ついでに言えばアイドルを知って、アイドルでなくてもインターネットで活動する女の子たちを知って、ミスiDにたどり着いたりした。このグループ無しではわたしの人生は語れないくらい、初めての体験をくれた存在だった。やがてコロナ禍になりわたしの生活も変わっていく中で、現場に出向くことが減り、そうこうしているうちにメンバーが変わり、知らないグループになっていって、YouTuberの公式アカウントを開くのもなんだか億劫になっていて、"解散"のニュースを見たときに少しほっとした気持ちがあったことは否めない。いわゆるわたしの"推し"はグループに残って活動してくれていたけど、推ししか好きじゃない状態でグループとしてのライブに行くことが躊躇われていた。だって、メンバーが変わる前は、どのメンバーも大好きでグループ全体が大好きで応援していたから。推しを見るためだけに行くのは、他のメンバーに対して失礼なような気がしていた。逆に言えば、推しのことはずっと応援していたかった。個人チャンネルに上がる踊ってみたはやっぱり見てしまうし、オンライン上で文通のようなものができるシステムは何度か利用した。生誕ライブにも行きたかった、距離の都合で諦めてしまったけれど。こうやって離れた人間がいるから、解散になってしまったのだとも自覚はしている。 ファイナルライブはオンライン配信で見た。MCがほとんどなく、ほぼ楽曲だけで構成されたセトリは潔さを感じた。メンバーが語って泣く姿を少し期待してはいたのだけど、そんなことは吹っ飛ぶくらい、"らしいな"と思って微笑んだ。いつだってパフォーマンスで楽しませてくれていたものね。 解散した後はしばらく落ち着かなかった。メンバーたちはどうしていくのか、それが分からないわたしたちはどうしていいのか。1ヶ月くらいTwitterにかじりついていた気がする。しばらくしてメンバーの動向が見えてきて、推しは表に出る活動を続...

見返りって必要?

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私のマンガ好きは小学生の頃から始まった。母に勧められて買ってもらったりぼん本誌。何がそんなに魅力的だったのかはもう思い出せないけれど、離れられなくなってしまった。毎月買っては何周も読んで、イラストを描き写し、カラーページは切り離して保管していた。同じものをぐるぐると読み直し、それこそ暗記できるぐらいまでかじりついた。単行本というものを知って、本屋の棚にずらりと並ぶものがマンガなのだと気付いたときの高揚感。好きなマンガを買い集めて、本棚に並べる幸せ。大人になった今でもりぼんの漫画を読んでいる。永遠のりぼんっ子。 初めて大好きになったマンガは亜月亮先生の無重力少年だった。思春期の不安定さ故に重力を無視して壁を歩けたり、超ジャンプできたりする高校生たちの話で、自分もこんな風に壁を歩けるんじゃないかと精神統一してみたこともあった。実家に単行本を置いたままなので、大人になってから電子版を買い直した。 無重力少年、もとい大好きなマンガが完結する、ということを初めて経験したとき、わたしはファンレターを書きたいと思った。本誌のはしっこに縦書きで載っている「感想をお寄せください」的なアレである。マンガの最後のページにポップに書かれた「おわり」の3文字を見ても、私の中でこの人たちを終わることにはできそうになかった。先生にこの気持ちを伝えられるなら、と思ったのだった。当時おこづかいもほとんど無く、切手を買う術もなかったのでファンレターを送りたいと母に相談したところ、「どうせ送っても返事来ないよ」と笑いながら一蹴された。そうなのか、と反論もせず、りぼんを仕舞ったことは鮮明に覚えている。それ以来、ファンレターを書きたいほどの意欲が湧くこともなく(現代だとSNSもあるし)過ごしてきたけれど、返事をもらえないものは無駄なのか?と不思議に思っている。わたしのこの衝動がおさまるなら、壁打ちでも一方的でもいい。あのときはファンレターという方法しか見つけられなかったのに。 あれから、マンガが好きで、アイドルも好きなわたしになったけれど、一方的に好きでいることを続けている。先生がマンガを描き続けてくれることが、なによりの返答だから。

目標:お皿を買う

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  お皿ってなんで全然割れないんだろう。 大学生になって初めて一人暮らしをしたとき、母が気を利かせて実家で使ってない食器や100均の湯呑み、茶碗を揃えてくれた。それから引越しをして、結婚して、さらに引越して、それなのに食器の顔触れはほとんど変わらない。結婚したときにそれぞれ食器を持ち寄って、新しい食器を買う隙がないというのはあるあるなんじゃなかろうか。コップはいくつかダメにしたと思うけれど、メインの食事を盛る大皿は大学時代から変わらない。いつか買い替えてもいいように、壊れても悲しくないように、安いものを選んでいたのに、これじゃあ惰性と言われても仕方がない。(読み直していて気付いたけど、人を家に招くことが多いと食器を揃えるかもしれない。我が家は人を寄せ付けないので、必要十分なものしかない。) 新生活とともに食器を変えられる人がいたら、それはとてもマメで、生活を大切にしているのだと思う。いや、食事自体を丁寧にこなしているのかもしれない。盛るお皿で美しく見えるみたいな。そんな生活に憧れている。 今年は、ちゃんと気に入ったお皿を買おうと思う。初めて一人暮らしをしたノスタルジーも、もう、少し手放したくて、今の自分が大切に思えるものを部屋に増やしたい。旅先で見かけるガラス細工のお店とか、商店街にある古くからやってそうな謎の食器屋さんとか。気になったお店は過去にもたくさんある。取り急ぎサラダ用のガラスの器と、そうめん麺つゆ用の小ぶりなガラスの器が欲しい。 (花瓶もほしいかも)

ガチ恋にはなるな

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オタクをやる上での信条として「ハマりすぎるな」を掲げている。というのも、(自分としては)既にハマりすぎていた時期があり、もっと会いたくなってみたり他のオタクに嫉妬してみたりと、マイナスな感情に振り回されていたからだ。10年来の推したちは、ふたりとも年下の女の子(わたしたちは互いに成長したのでもはや女性)。恋というよりは憧れ、慈しみ、応援の気持ちが大きく、お綺麗になっていく彼女たちを見守り続けられることが嬉しい。「絶対結婚 しような」の気持ちにならなかったことがわたしにとっては幸いだった。結婚したかったら、もう苦しくて死んでいたと思う。そう考えるとわたしのスタンスは、オタクというよりファンの方が近いかもしれない。ファン、さらにライトなファンになりたい。アイドルにとって程よい距離感で応援してるファンになりたい。それで喜べるファンになりたい。 「ガチ恋粘着獣」というマンガを楽しく読んだ。簡単に言うと推し(配信者)に狂ったオタクたちが、家凸したりオタク同士で喧嘩したりしながら、自分の推し方の着地点を見つける話だ。対異性(もとい恋愛対象となる性)だと、より狂いやすいのかもしれないと想像できる。芸能人より、アイドルより、配信者が近く感じるのはなぜなんだろう。頑張れば手に届くように感じてしまうから、粘着獣になっちゃうのだろうか。粘着獣たちほどの熱狂がないのは、わたしの気持ちが恋じゃないからだと思う。一歩違えば恋になっていたことも、重々理解している。 わたしの推したちには手が届くとは思っていないけれど、三次元に存在する肉体ではあるので、どうか悪いことに巻き込まれず元気に生きててほしいと願っている。願うことくらいは、ファンでも許されたい。

生まれ変わったら"東京生まれ"になりたい

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東京というものの漠然とした特別感、特にアイドルを好きになってからは強く感じるようになっていた。 アイドルの拠点は東京なことが多いし、イベントやライブもまずは東京。インターネットが世界を繋いだとしても、再生回数を回す在宅より、たくさん現場に通える人間の強さ。生まれた場所だけでそんな差があるのかあ、と年齢を重ねれば重ねるほど不条理に思えたりする(でもわたしは出身地を恨んではいないし、ここまでの過程がある自分を好んではいる)。 みんなが東京に出ていくことも魅力的に見えたのかもしれない。東京に住むだけでなにかになるような気さえしていた。 7年ほど前までは"関東在住の文系大学生"に見られたかった。あまりにも偏見だけれど、なんだか自由そうだと思っていた気がする。東京で被写体をして、どこの人間か分からなくすることが楽しかった。ブランディングが上手くいっていたかは知らないけれど、それっぽく見えていたなら嬉しい。 生まれ変わったら"東京生まれ"になりたい。私の憧れた"特別"が普通にある世界に生まれてみたい。 生まれ変わる頃には、東京でしか生きられない世界かもしれない。そしたら特別でもなんでもないけれど、前世の記憶をもって、東京生まれを誇れたら楽しそうだ。 (2024年のみずうみ)