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6月, 2025の投稿を表示しています

活動的

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6月はアイドルに会いに行って、撮影をして、現像をしたら終わった。 毎週のように予定を入れることなんてないので、体力的不安だったが乗り切れた。全部楽しかったからだと思う。 アイドルに会うとき、とりあえずチェキは撮るのだけど、毎回同じ顔になる自分が悔しい。なんならポーズもピースばっかりだ(それはそれで気に入ってるけど)。表情をつくるって難しい。緊張するから強張るし、歯を出して笑うの苦手だからいつも偽善スマイルだし。高校生の頃、集合写真が苦手でどうにか綺麗に写りたくて、写りの良い笑顔を研究していた。口を閉じて口角を少し上げて、目尻を緩める。それを偽善スマイルと呼んでいるのだけど、今もそれしかできない。今月は偽善スマイルのチェキが4枚うまれた。一緒に写ってるアイドルは全部可愛い。 去年は引っ越したばかりで家に引きこもっていたので、今年こそは紫陽花と撮りたくて、撮影してもらったしセルフポートレートもやった。被写体っていつまでやれるんだろう。人に撮ってもらうことは、年齢を重ねるとやはり難しいのかなと思う日々。でもあんまり気負わずにふっと写りたくはある。 あと、MadtownGTAを見てたら6月終わった。最近はフィットネスバイクを30分くらいやるので、その間に切り抜きを1本見てる。VCRGTA1のときのゴッドファミリーがかなり良くて(2はゆぐどらしる、3はBBBが良)、それからGTAの物語性にかなりはまってしまい、やってるとついつい見てしまう。今回はぺいんとカワクラがかなり良さげだけど、かいつまんでしか見ていないのでちゃんと全部追いたい。毎日新しいことがあるから、全然情報に追いつけてなくて悔しい!今回は市民、救急隊メインに見てたけど、やっぱりギャング側も気になってる。そうしてるうちにMadtownは終わったし、6月も終わった。 最近読んだもの ボクラノキセキ 32巻まで 新刊が出たので読み返したくなって、全部読んだ。全部読んでたら6月が終わった。また読みたい。でも読み始めたら7月終わりそう。 (セルフポートレートは自分の写真だなと思う。良し悪しは知らないけど。)

今だから思うミスiDのこと

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ときどきSNSでミスiDのことを目にしては、ちくりと古傷が疼くような気持ちになる。内側の人間として語れるほど入り込めなかった、という後ろめたさもありつつ、ようやく距離を置いて眺められそうなので少し書いてみる。 2017年、ミスiD2018に応募して、セミファイナリストとして終了した。まだコロナ前で対面の選考もあった年で、5月書類選考、6月対面の1次選考、7月セミファイナリスト発表、9月ファイナリスト発表、11月授賞式くらいのスケジュールだったと思う。セミファイナリスト発表から一般に公開されて、期間中はなにをやってもやらなくてもいいのだけども、好奇の目に晒されながら、ブロマイドの販売枚数や指定のSNSツールの投稿内容・ファンの数などなどを評価されていた。ファイナリスト発表の後にセミファイナルの敗者復活戦があって(オーディションで敗者復活戦って今思えばなんなんだ)、そこまで戦ってわたしの夏は終了した。 当時、ようやくいろんなしがらみから解き放たれて"わたし"のやってみたいことに取り組める状況となり、1日延びた締めきりに滑り込むかたちで応募した。十分にお酒を飲める年齢になってからの応募はアイドル界隈としては遅すぎるものだったけど、その差はわたしの努力で埋めれたものではなかったから当然の成り行きと思われる。むしろ、若くしてそういったものに応募できる環境(特に土地柄)は羨ましい。そこから1次選考の知らせが届き、講談社へ赴き、慣れない撮影をいくつか受け、審査員たちって本当に実在するんだなあと思いながら眺め、そして選考に通った。あの日、応募書類を印刷したものを渡されて、そこに◎って書いてあったから、通るのかもな、となんとなく思っていた。不安点と言えば顔を出さないことだったけれど、結果的に2018の年は不思議といろんなひとが集まった回だったので大丈夫そうだった。(のちに顔を出さない子が出ていたのも少し嬉しかった) 応募したきっかけは、可愛くないと許されない世界への憤りを発したかった、あと自分の活動(文章や写真)のバネになったら嬉しいという感じだった。いわゆるアイドルを目指していたわけでも無かったし、今思えばちょうどいい終わり方だったのかもしれない。ミスiDという枠組みは、「どんな女の子でもあなたにしかないアイドルになれるよ」というニュアンスを滲ませてい(るように...

お手紙を書きます2025

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定期的にお手紙を書く企画をしています。 自分の手書き文字が気に入っていて文字を使って何かやってみたかったこと、デジタルの時代に手書きで伝えられるぬくもりがあると信じていることをきっかけに、お手紙を書き始めました。 元々は読み手宛ての内容ではなく、私から架空の文通相手に宛てた日記のようなお手紙を書き、それを読んでいただくようなコンセプトからスタートしました。最近は、お手紙をご希望の方からメッセージをいただいて、それに呼応するような内容でお書きしています。 夏になるとお手紙を書きたくなるので、今年も書かせてもらえればと思っています。 ご希望の方は、 □おなまえ □郵便番号 □住所 □この夏やりたいことや近況について、良ければ教えてください 上記を記載の上、 amgy.har@gmail.com まで、メールをお願いします。 締め切りは6月30日まで。 (ご希望が多そうであれば途中で締め切らせていただきます。また、いただいた個人情報は本件のみに使用いたします。 ) お手紙と書いておりますが、今年もポストカードにメッセージを添えるかたちでお送りします。ポストカードから作り始めますので少々お時間いただきますが、7月中には発送の予定です。 先日フィルム一眼でセルフポートレートを撮りましたので、それがちゃんと撮れていたらその写真を使いたいなと思っています。失敗していたら別のものにします。 確認してみたら、2019年からお手紙を書いているようです。そんなにやってたのか。ずっともらってくれている人もいるのでしょうか。 わたしはチャット的なやりとりが少し苦手なので、メールやお手紙といった自分自身でワンテンポ置ける方法が安心します。その場限りの言葉でなくて、何度も読み返して反芻できるところも好んでいます。人からもらったお手紙はずっと残していて、たまに読み返します。わたしのことを思って、時間を割いて、書いてもらえることなんて、稀なので。そんな時間をお互いに過ごせたら嬉しい。そう思う方にお送りできたら嬉しいです。 いろいろと書いてしまいましたがお気軽にどうぞ! 良き夏の始まりを一緒に過ごせますように。 (この写真も送ってたかなあ、またこのカメラ使いたい)

月曜日はしいたけ占い

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しいたけ占いを好んで読んでいる。 週間のものは月曜日に毎週読むし、なんなら毎月更新されるnoteも購読している。そんな日々をもう5年くらいは過ごしている。こう言うと占いに傾倒していると思われそうなのであまり言っていない。占いそのものが大好きというよりは読み物として消費している感覚に近い。 占いは数あれど、しいたけ占いは読み心地が良い。他の占いはなんとなくふんわりした文言が並んでいて難しいかったり、あまり当てはまらないような名詞が書いていてピンとこなかったりする。そういうのがなくて、割と現実生活に近いような表現で、日記のように書き綴られているのがしいたけ占いの良さだと思う。 正直読んでもその日のうちに忘れてしまうのだけど、このまま生活してていいんだなとか、悪いことがあっても落ち込みすぎないようにしようとか、ほんの少しだけ背中を押されるような気持ちになれる。そのために読んでいる。わたしに翼を授けるならレッドブルじゃなくてしいたけ占いだと思う。 *** ときどき、ふとした瞬間にアイドルに思いを馳せる。好きだったグループが解散して、それぞれが活動を始めて、観測できる範囲で情報を見ているけれど、いてくれるだけで嬉しいみたいな、お互いにとってそれは健全なのか、どう思えばいいのかわからないなとまだ思っている。推しが活動していることは素直に嬉しい。素直に喜んでいたい。彼女が不便なく生活していてくれたらいいなと思う。 アイドルに憧れていたけれど、アイドルになって、卒業しても何にもなれなかったであろう自分を思うとぞっとする。アイドルになることを選べているだけで、相当にすごい。生きる覚悟を決めることの意味、わたしは最近になってもまだわからないよ。 最近読んだもの の、ような 8巻 他人同士が集まって暮らすって歪かもしれないけれど、お互いを思いやりながら生活している姿には憧れる。ハルの素直な可愛さが癒し。口を開けば愚痴を言ってしまう私とは正反対で、ハルには憧れるばかり。キナさんも愁人さんも冬馬もハルも、みんな私のなりたい人だ。 多聞くん今どっち?!11巻 ありがとうございました………(語彙消失) マンガ好きと公言しているけれどあまり伝わっていないと思うので、ここで書いてみている。思っているよりマンガ好きだと伝われば嬉しい。 (ちょっとばかしアイドルになりたかったときのわたし)

ラーメン好き

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比較的ラーメンが好きな方だと思う。自宅で袋麺を食べもするけど、ラーメン屋さんに行くのも好きだ。サイドメニューがあるとつい食べたくなる。餃子も好き。ラーメン屋によって餃子の味が違って楽しい。でもセットにすると量が多いので、食べ切れるか悩む。えいやっ、と餃子セットとか唐揚げセットにして、お腹がはち切れそうになる。夜は寝るだけだからいいんだけど、昼間はまだ働かないといけないのでつらい。眠気を堪えている。でも今日の餃子良かったな〜とか浮つきながら働いている。ラーメン屋にはひとりで入ることができる。むしろ、ひとりで行く方が多いかもしれない。ひとり飯のときはスマホを見ながら食べがちだけど、味が悪くなると思っている。何も見ずにラーメンとだけ向き合って食べる方が誠実だと感じている。そういう流派。でも大概、SNSの誘惑に負けてスマホを開く。お店のひとにもなんかごめんと思いながらスマホを眺めている。ラーメンの話に戻る。個人的には細麺が好き。食べやすい。チャーシューやメンマはあまりこだわらない。むしろ少なくてもいい(サイドメニューを頼むから)。スープは透明なほどテンションが上がる。目から食べる美味しさがある。昔は味噌一択だったけど、透明度を鑑みると塩もありなのだ。醤油は言わずもがなうまい。つけ麺の良さはまだ分かっていない。YouTuberが好きなつけ麺屋を紹介していたので、それは行ってみたい。 丸源ラーメンの肉そばが好き。前住んでいた場所は近くにお店があって、仕事帰りに寄って食べたりしていた。22時過ぎ、絶対体には悪いけどその分美味しかった。餃子も好きで、いつも一緒に頼んでいた。同僚は美味しくないと言っていたのでハマるかは人によりそう。 来来亭も好き。好きというよりお世話になった感覚が近い。こちらは大学生のときから比較的身近にあって、よく食べに行った。店の中がつるっとした内装で、割合綺麗なので過ごしやすい。長らく食べてないので味は忘れた。 今は一蘭のラーメンが食べたいな。(月ノ美兎の一蘭動画を見たから) (ラーメンの写真は無かった)

生きるとか死ぬとか

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生きるとか死ぬとかのことをすぐ語るので、中二病と言われても仕方ないと思う。至極真っ当に死を意識して生きているのだけど、死との向き合い方はいつになっても上手くならない。子供の頃は、自分というものを認識できず不安で生きている心地がしなかった。最近は天災とか世界情勢とかそんなものが不安で生きていられる気がしない。大きな病気になったら治療費も払えずに生きられない気がするし、随分と現実的な不安になったものだ。年を重ねて良かったこともあるけれど、子供の頃のような、かたどられない、それだけで光っていられる心の感覚は見失いたくない。(もうこの心は手からこぼれ落ちていて、かろうじて床を伝えば触れることができる) ただの器である外側の皮膚(外見)と、揺らぎながら押し留められている魂のことを思うと途轍もない不安に襲われる。ここに存在しているわたし(=魂)をわたし(=いま思考している存在)と証明するものは何もない。何度自分自身に問うても、誰でもない意識のかたまりが浮遊しているだけなのだ。そんなことをふと同級生に打ち明けた小学生の頃、筋違いな励ましを受けたりして、普通はそういうことは考えないものなのか、と気付くとともに傷付いた。理解されないことと説明できないことが、二重で誤差を生む。でも今もうまく説明はできない。 自分の実態はこの身体ではなく、思考にあると感じている。平たく言うとそれが魂と呼ばれるものに近い。例えば今の私の体が死んでしまっても、魂と呼ばれるものならまた違う体になって生き続けている気がする。そう思うときっと死んでいる状態が普通で、生きていることの方が異常なのだと思える。だから早く普通に戻りたくて、死にたいと思っている節がある。今世、つくづく苦の多い世の中よ。本当にただの中二病だな。こういう学問ってあるんじゃなかろうかと思いつつ、触れたことのない分野なので取っ掛かりもないままだ。学問というより宗教ならあるのだろうか。今のところ、わたしひとりで、わたしひとりの心に誓い、この信仰を拠り所にしている。むしろひとりきりで良い。 文章を書くとき、私とわたしを使い分けている。私は外側の実体として存在しているもので、わたしは思考や心を指している。そう思うと、写真に写ることは私の姿を確かめる作業のようだ。他人から見える姿を確かめて、自分の立ち位置を確かめる。たまにわたしまで写っているように見える...

小さく返事をする

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歯医者とか美容室とか、丁寧に一言かけられるたびに、小さく返事をする。 「椅子倒しますねー」「はーい」 コミュニケーションのとれる良い客だと思われたくて返事をしている節がある。薄いタオルで覆われて、今のこの顔見えてんのかな〜と思いながら目を閉じている。美容室だと半分寝かけている中で、なんとなく、小さく返事をしている。人々はあのときどうしているんだろう。返事をするなら、小さく控えめになりそうだ。 先日、写真に写っているときに、「そのまま、撮りまーす」と声をかけられて、小さく返事をした。声のかけ方が歯医者さんのように優しくて、口角が上がらざるを得なかった。 恒例の、最近読んだもの。 ボクラノキセキ 32巻 ずっとおもしろいのすごい。わりとシリアス?ではあるけど、毎回新展開が起きてあっという間に読み終わっている。カタカナの名前を覚えるのが苦手なので、毎回キャラ一覧を読み直している。グレンがね…今世も前世も好きです。 新刊が出る時、真っ直ぐ新刊を読むかいつも迷う。発売日を把握していれば、数巻前から読み直して準備をする。そうして、持っているものを古いものから全て読み直すことになるのですが…。 エンドロール 香魚子さんの最新作…!もうマンガ読めないかと思っていた、もっとこれからも読みたい。 香魚子さんの漫画は紙で持っていたくて、本屋の新刊コーナーをうろうろしたものの見つけられず。よく見るとオンライン限定ぽかったので、分冊版はあまり好きじゃないが…と思いつつまとめ買いした。 短期連載のようで、物語の時間の流れが早かった。とんとんと歳を重ねて、ゆっくり積み重なる関係性が描かれていて、欲を言えばリアルタイムで連載を追いかけたかったな〜と思うなどした。繰り返しその回を読み直して、同じように時間を過ごしたかった。 香魚子さんのマンガは「さよなら私たち」がとても好きなので、全人類読んでほしい。ひやっとする人間の心のつめたさが読めたりする。 ただの飯フレです 3巻、4巻 LINEマンガの無料分を読み進めて気に入ったので購入。男女の関係って、なぜ恋愛に結びついてしまうのでしょうね。女としてじゃなく、ひとりの人間として、恋愛とか置いておいて関係性をつくってくれる太郎さんの存在が温かいです。 ヲタクに恋は難しい を、読み直している。これ読んで、オタクでいていいんだ〜〜!!と安心したんだよね。成海みた...